意味ある無意味
バイク便の時、一日の終わりに必ず日報を書いて提出していた。特に重要な項目とかは何も無く、毎日ほぼ同じ内容。違う事と言えば走行距離ぐらい。
(オドメーター◯◯㎞~◯◯㎞。一日の総走行距離(トリップ)◯◯㎞というような内容)
これを記入する意味は特に無い。会社のバイク管理責任者が個人の日報とバイクのメーターを実際に照らし合わせて、間違いが無いか事細かにチェックするワケでもないし、日報を受け取った業務側も特に何もチェックする事は無い。
要するに「意味は無い」
入社してから教わっていた事なので一応してはいたが、意味が無いなら時間の無駄なのでは?とずっと思っていたので、ずっと研修してくれていた歴の長い先輩に聞いてみた。意味が無いならする必要も無いのでは?と。
「確かに誰も見ちゃいない。毎日走行距離を確認して書く必要も無い。見る意味も書く意味も何も無いけど、ただ、それをやる事に意味がある」
メチャクチャ胸に突き刺さった。
バイク便を辞めた今でも、先輩に言われたその言葉だけはずっと心に残っている。
ウチのアパートは、一応はゴミの分別方法の紙が配布されたり、可燃物・不燃物・プラスチック・資源ゴミ等のゴミ出し日があるにはあるが、基本的にはいつ何のゴミを出そうと、全てまとめて同じゴミ収集車が回収していく(大阪は大体そんな感じ)。
なので、紙もビニールも缶も瓶もプラスチックも、一つの袋にまとめて入れて捨てても何の問題も無く回収される。
それは分かってはいるのだが、缶や瓶などの資源ゴミと、可燃物や不燃物は分けて捨てている。こんな事やったところで、結局は全部まとめて回収されるのだから意味が無いのは分かっている。分かってはいるのだが、先輩に言われた言葉が頭を過る。
「結果的に意味は無くとも、それをやる事に意味がある」のだと。
その言葉を今でも胸に、俺は今日も缶と紙を分けて捨てている。