YASさん ~The World~

デザインから日常から~

「デザイン」とは


今回は「デザイン」という事について記事を書いていきます。意にそぐわない、またはご自分の感性や考え方と違うと少しでも思う事があれば、その時点で記事を読み進める事はやめておくべきだと、今の時点で忠告しておきます。それでも読み進めてるくれる方は、あくまで「YAS」という私自身の考え方であるという事だけ念頭に置いて頂けると助かります。
それを踏まえて凄く真面目に綴っていきます。






私が思うデザインとは「依頼してくださる方の代弁者になる」という事だと思っています。その方の意志・想い・考え・思い出・気持ち等をどれだけ「形」に出来るか、ですね。

上手いとか綺麗とかカッコいいとか、そういう絵を望むのであれば、私なんかよりももっとイイ絵を描ける方なんて山のようにいます。そんな事は分かってるンです。しかし、そんな中で「YASさんに描いて頂きたいです」という方がいらっしゃるお陰(?)で私は存在しています(いや、本当に)。

私個人が好き勝手に描く作品に関しては、意味を全く込めずに、自分の感性や自由な発想で描いているものも多いですが、それに関しては「デザイン」ではなく「アート作品」という認識で描いています。








企業のロゴやマークがそうですね。ト◯タでもソ◯ーでもア◯ゾンでも基本的には全てそうです。あのロゴやマークを「アート」だと言う人ってまず居ないと思うンです。だって「アート」ではなく「デザイン」なワケですから。
(気になる人は各企業のロゴやマークを調べてみてください。ネットでどこまで出るか分かりませんが、非常にシンプルなデザインながらも確実に「意味」や「想い」は込められてます)。

誰がなんと言おうと、本人が「これはアートだ!」とか「デザインだ!」と言うのなら否定はしません。否定をする権限も無ければそんな立場でも無いですから。

ただ、私が思う「デザイン」っていうのはそういうものです。凄く極端に言ってしまえば、その作品に「意味」があるか否かです。
勿論、意味の無い作品なんてこの世にはほぼ無いでしょう。パッと見で全くワケの分からないような抽象画ですらタイトルがありますから。

要は「意味を込めたかどうか」ですかね。。
ただ丸(円)を描いただけなのと、しっかりと円が持つ意味合いを調べて描いたのとでは、やはりデザイン(絵)全体が変わります。

「円」という漢字の成り立ちや画数を調べたり、円(◯)という形が、西洋や東洋でどんな意味があるのか。風水で考えた時に吉なのか凶なのか。数や大きさによって違いがあるのかどうか。それらを調べ活かし、一つの絵の中に意味合いとして込めれるかどうかが「デザイン」と「アート」の違いだと思ってます。






私はデザインの依頼を頂いた際に、その方の誕生日や好きな数字を聞いたりします。それに合わせて、円なり四角なり三角なり、流れるトライバルの線の本数だったりモチーフの数だったりを打ち合わせ時に決め、私のデザインを身近に置く事でクライアント様が少しでも「幸運」になるように誠心誠意で尽くし考えます。

依頼してくださる方で「私は不幸になりたいンです!」という方はいません。色んな意味や想いを込めた上で、お金を払って依頼してくださるワケです。それならこちらとしても「幸せ」になって頂けるようなものを提供したい。

アーティスト、イラストレーター、デザイナー、色んな職種?呼び方?肩書き?がありますが、その中でも「デザイナー」にはかなりの重みがあると、私はそう思います。
(ましてやトライバルを描いている身ですから。必然的にタトゥーデザインが多いです。痛みを伴いながらも、一生消えないモノを自身の身体に彫るワケですから。そのデザインを依頼されるとなると、必要以上に慎重になって然るべきだろうと)。







ここまで長々と語ってきましたが、あくまで私個人の考えによるものであり、且つ、トライバルという「タトゥー」寄りのモノを描いているからこそ(?)の考えです。

「トライバル」自体は、もっとプリミティブアートとして世間に知れ渡ってほしいと考えているので、イラストでもアートでも、勿論個人の趣味や落描きなんかでも、もっと幅広く拡まってほしいと思っております。

今回の記事は、トライバルをメインとして描く私個人のデザイナーとしての、言わば偏った考え方です。

ですが、これを期に「もし依頼を受けた時には、もっとクライアントさんの気持ちや考えを形に出来たらなー」なんて思って頂けたら嬉しいなと思います。なんせ、このブログを読んで下さる方となると、私と同じく「描いている」方が多いと思いますので。

デザインをする(受ける)側も、デザインを依頼する側も、お互いが心から満足する・出来る作品が生まれる事を願います。